「環境も考えなきゃね!!自分達の住んでる地球を守ろう!」MATERIAL通信Vol.463

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1971年(昭和46年)の2月2日、湿地の保存に関する「ラムサール条約」が調印されました。この日には、湿地の恩恵や価値に目を向け、その維持と賢明な利用を達成するという条約の目的のため、自然観察会や講演会などのイベントが世界中で開催されます。

健康な湿地を維持することにより、食物や清潔な水、医薬品の供給など、人の健康に好適な影響がもたらされる一方で、湿地の管理が不適切だと、水の汚染や水に関係する疾病の発生、泥炭地の火事、洪水など、人の健康にとどまらず命さえも奪うような負の効果をもたらしかねない。これらを人々に紹介されています

1954年(昭和29年)の2月2日、戦後GHQにより禁止されていた国際航空業務が再開されました。
太平洋戦争の敗戦後、日本の民間航空事業はアメリカ軍の手により全て解体され、航空機も完全に破壊されてしまいました。1951年(昭和26年)9月8日にサンフランシスコ講和条約が調印されたが、同年10月1日に日本航空株式会社が設立されて、民間航空再開の第一歩が始まりました。それから、2年以上の歳月を要し、国際線の運航が開始された。国際線の1番機は日本航空の東京発ホノルル経由サンフランシスコ行で、38席のうち14人が招待客で、一般の乗客は5人だけでした。当時の片道運賃は23万4千円で、現在の価値で換算すると、500万円弱になるという。この頃に比べれば、現在では海外旅行に気軽に行けるようになりましたね。

1881年(明治14年)の2月2日、1つの警察署の管内に7つの「交番」を設置することが定められました。

町の中に交番の建物を置き、そこを中心に制服の警察官が活動するという交番の制度は、1874年(明治7年)に東京警視庁が設置した「交番所」が世界初のものでした。当初は、建物はなく、街中の交差点などに警察署から警察官が出向いていたが、1881年より常設の建物を建てて警官が常駐する現在のような制度になりました。
1888年(明治21年)10月に全国で「派出所」「駐在所」という名称に統一されたが、「交番」という呼び名が定着し、国際的にも通用する言葉になっているということから、1994年(平成6年)11月1日に「交番」(KOBAN)を正式名称とすることになりました。



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