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1899年(明治32年)のこの日、私鉄の山陽鉄道(現:山陽本線)において、官設鉄道・京都駅~三田尻駅(現:防府駅)間の急行列車に日本で初めて食堂車が連結されて走った。当時の食堂車は一等・二等車(現:グリーン車)の乗客専用で、メニューは洋食のみであった。当時の列車は揺れが激しく、ゆったりと食事をするというものではなかったようでしたが、それでも「汽車で景色を見ながら洋食を食べるなんて、モダンだ」と好評でした。
1955年(昭和30年)岩波書店の国語辞典『広辞苑』(こうじえん)の初版が発行された日。
『広辞苑』は、1935年(昭和10年)に博文館より発行された『辞苑』(じえん)を改訂したものであった。1945年(昭和20年)の東京大空襲により、印刷所と倉庫が被災し、数千ページ分の活字組版と大量の印刷用紙が焼失するという出来事もあり、改訂作業に20年もの期間と多大な労力が費やされた。編著者をはじめとする関係者の労苦が実り、書名を『広辞苑』と改めて出版されました。


日付は「マンゴー(05)ニッコリ(25)」と読む語呂合わせと、この頃に宮崎県産マンゴーの出荷が最盛期にあたることから。「みやざき完熟マンゴー」として全国的知られる宮崎県産マンゴーのさらなるPRが目的。宮崎マンゴーは、1985年(昭和60年)に宮崎県西都市で栽培が始まったとされている。もともと宮崎マンゴーは、どちらかと言えばマイナーなフルーツであったが、2007年(平成19年)に東国原英夫が県知事に就任して以来、宮崎マンゴーの名前は全国に広まり、高級フルーツとして定着しました。

